「すっかり、バレンタイン一色―――だな」
自分の右斜め後方から聴こえた呟きに、トノムラは振り返った。
さして興味も無い様子で、歩いていた通路の右側を眺める呟きの主―――ノイマンに向かって、トノムラはこくりと頷く。
「ですね。…あ、試食やってる、美味しそうだな…」
「貰ってくれば?」
「…ノイマンさん、俺一人であの中に突っ込めると思いますか?」
「いいや」
苦笑いで顔を見合わせた二人は、再び視線を戻す。
概ね若い女性と、それらを取り巻く華やかな包装を施されたチョコレート―――いや、逆か…とにかく、その2種類のものしか存在を許されない空間が、そこに広がっていた。
いくら甘いものが好きでも、いくら隣の男に「俺の奥さん」と呼ばれようと、男性であるトノムラにはそこに突入する勇気はこれっぽっちも存在しなかった。
「しかし凄いですねぇ、バレンタインデーって…あのムードというか、熱気…」
「バレンタインの由来とか本来の意味だとか、全く無視だけどな」
「もう…世の中の女性にとっては、チョコレートに気持ちを込めるってトコが重要なんですよ…きっと」
二人の話題に上っているバレンタインデーを控えた休日、日用品の買い物に出かけたノイマンとトノムラの行き先である、巨大ショッピングセンターの一角でも、世の中の例に漏れず、バレンタイン特設コーナーが開設されていた。
そこに群がる女性の熱気に思わず足を止めた二人であったが、前述の通り、彼らが足を踏み入れる場所ではないので、再び歩き始める。
「でも、ちょっと前までは買ったチョコは義理チョコって雰囲気でしたけど、最近はそうでもないですよね〜…ちょっと高めのチョコレートってやっぱり美味しいし、見た目もキレイだし、」
「…何だ、お前、詳しいんだな」
「いえ、去年、ゼミの後輩の女の子から貰ったチョコレートがあんまり美味しかったから『作ったの?』って聞いたら『いえ、買いました』って言ってて、それで色々聞いて…って、ノイマンさん?」
話しを聞いているうちに、みるみる険しくなるノイマンの顔…その理由を推察しつつ、トノムラはため息をついた。
「…心配しなくても義理チョコですよ…ゼミの皆に配ってたんですから。大体、ノイマンさんだって毎年いっぱい貰うでしょうに…しかも本命。」
「俺はチョコレート嫌いだからな、貰っても食べられないし」
「でもそう言っても貰わない訳にいかないでしょう」
「いや…高校の時なんかは、クラスの奴らに分けて…」
「…ノイマンさん、それはちょっと酷いんじゃ…ていうか、分けるほど貰ってたんですね…きっとそれ、全部本命だっただろうに…」
「まぁ、過去のことは関係ないだろ―――今年貰ったら全部お前にやるから、な?」
「な、じゃありません!そういう問題じゃなくてですね…」
「ほら、今日は何を買うんだ?早く済ませて昼飯にしよう」
そうやってすぐ誤魔化すんだから!というトノムラの抗議も軽く受け流すと、ノイマンはトノムラの腰に手を回して先を促した。
その手をぺしりとトノムラが叩いたのは言うまでも無い。
Bitter and Sweet
買い物を終え、昼食はショッピングセンター内のファミレスに落ち着いた。
運ばれてきたパスタをくるくるとフォークに絡ませつつ、不意にトノムラが口を開くのに、ノイマンも食事の手を止める。
「…でも、バレンタインって女性だけじゃなくて、男側としてもちょっとドキドキしますよね」
「…そうか?」
「…―――ノイマンさんにはどうせ分からないでしょーけど!だって、貰えたら嬉しいじゃないですか」
「そんなにお前、チョコレートが食べたいのか?」
「違いますよ!チョコレートが嬉しいんじゃなくて、気持ちが嬉しいでしょ?」
「気持ち、ね…色々と後が大変なだけだと思うんだが…」
過去に何やら苦い経験があるらしいノイマンにとって、この件に関してはトノムラと意見の平行線を辿るしかない。
すると、絡め取ったパスタをほおばっていたトノムラがそれを飲み下すと、わざとらしく口を尖らせる。
「ノイマンさんと違って、世間一般の男は嬉しいんです!もう…アーサーなんか今からドーナツ屋さんの娘から貰えるか貰えないかって心配したりしてるし、…『義理でも貰えないよりはいい!』とか言って…」
アーサー・トラインはトノムラの友人であるが、ノイマンにとっても、あるきっかけによって顔見知りであった。ノイマンはアーサーが心配している様子を頭に思い描いた―――そう、外してはいない想像が出来ている。
「ああ、トラインくんか…くれ、って頼めばいいじゃないか、その娘に」
「…くれ、なんて言える仲なら心配なんかしませんよ…」
どうも『バレンタインデーにおける男女の情緒』を理解していないノイマンに対して、トノムラは肩を落としてみせる。
「自分の好きな人が、自分に気持ちのカタチとして、チョコレートをくれたら嬉しいでしょ?気持ちってのは『くれ』って頼んでもらうものじゃないんです!」
自分の伴侶が偶に世間の常識とハズれていることを、いい加減トノムラは気が付いていたので―――理解させようと必死になっている。
「所謂義理チョコだって、『お世話になってる気持ち』とかがこもってるんですよ?嬉しいじゃないですか…チョコレートって、なんだか甘くて優しい気分にもなるし、そういうのが、」
「あ〜…うん、分かった分かった」
これ以上何かを口にするとトノムラに怒られそうだったので、ノイマンは真面目な表情を作って頷いてやることにした。それを見て、トノムラが満足そうに頷き、パスタの残りを絡め、最後の一口をほおばる。
ノイマンは自分も付け合せのサラダを口に運びつつ、トノムラがもぐもぐと口を動かす様子を眺めていたが―――不意に思いついた。
「お前は俺にくれないのか?」
「…は?チョコレートですか?」
ごくり、とパスタを飲み下して、トノムラは思わず質問で返してしまう。今まで散々理解できない様子だった上に、そもそも彼は―――
「だってノイマンさん、チョコレート嫌いでしょう…それに、バレンタインは女性が男性にチョコレートもとい気持ちを伝える日であって、」
「『奥さん』が『旦那』に、じゃダメなのか?」
「ダメ、と言うわけじゃ…でも、ノイマンさんチョコレート食べな、」
「お前がくれるんだったら、どんなに甘かろうが俺は全部食べるぞ、だってお前の『気持ち』なんだろう?」
「う、でも、そんな…」
優雅に食後のコーヒーを傾けるノイマンが、口篭るトノムラに向かって微笑みを浮かべる。
「俺にも『世間一般の男の喜び』とやらを味あわせてくれてもいいだろう?どうせだから、蕩けるくらい甘いチョコレートで、なぁ?」
世間一般の男は男からチョコレートを貰っても喜ばないんです!とも教えてやりたかったトノムラであったが、それを言うと、自分の今の生活―――ノイマンと結婚生活を送っているという状況から否定しなくてはならない。
―――何だかんだと言うけれど、今、とても自分は幸せだから。
「…まぁ…仕方ない、かぁ…じゃあ、用意しときますよ」
「それはもちろんお前の手作りなんだろ?トノムラは料理得意だしな」
「え?手作りですか!?…お菓子作りと普段の料理は別モノですよ…俺、お菓子作ったことないし!」
「『本命』は手作りが王道なんだろう?」
トノムラからチョコレートをもらえることになって、先ほどまでの無関心はどこへやら…ノイマンの心はバレンタイン当日への期待でいっぱいの様子だ。そんな旦那の期待に満ちた目を向けられ、トノムラが断れるはずも無く。
「…あんまり、期待しないでくださいね…」
こうして、トノムラはチョコレート作りをする事になったのだった。
バレンタインデー、当日。
異様に張り切って出勤していったノイマンをいつも通りに見送り、朝の家事を済ませたトノムラも出かける準備をした。
午前中だけだが、大学で実験の助手を頼まれている。―――師であるハルバートン教授はトノムラのことを随分可愛がっており、今春、彼を卒業させることを渋るほどであった。
そんな教授の実験の助手を頼まれては、断れない。
(大学はもう春休みなのになぁ…まぁ、いいか…)
やがて大学に辿りつき、校門をくぐったところで見覚えのある背中を見つけ、思わずトノムラは声をかけた。
「アーサー?」
「あ、ジャッキー!おはよ、」
振り向いた顔は、やはり友人であるアーサーであった。
「おはよう、何してんの?」
「…これから追試…しかもグラディス先生の…」
一瞬にして、朝から浮かない顔になったアーサー―――無理も無い。アーサー属する工学部の助教授タリア・グラディス女史…アーサーはその彼女に数ヶ月前、見事に玉砕している。
彼の恋の一部始終を(巻き込まれたお蔭で)知っているトノムラは、そんなアーサーの胸中を思いやると、迂闊な言葉は掛けられない。
「えっと…そんなに難しい試験だったのか?」
「いや…普通に授業出てれば大丈夫だったみたいだけど…―――あの後、出席しづらくてさ…ううっ…」
―――まだ完全には吹っ切れていないらしい。
しかし何とか自ら暗い空気を振り払うように、アーサーは明るい表情を努めて作ると、話題を変えた。
「で、お前は何しに来たの?」
「え、俺はハルバートン教授の実験助手に呼ばれて…午前中だけなんだけど」
「ふーん…あ、じゃあさ、それ終わったら付き合わないか?」
「何に?」
「ミネルバドーナッツ!…あの赤い髪のバイトの女の子、覚えてるか?メイリンちゃんって言う名前なんだけどさ〜」
途端ににこにこと語り始めたアーサーの姿に、トノムラは安心すると同時に少し呆れたが、アーサーはお構いなしに語り続ける。
その間にも2人(アーサーの行き先も同じようだ)は目指す研究棟にたどり着き、入口の自動ドアをくぐるとトノムラはエレベーターのボタンを押した。最上階に停止していたエレベーターが、下へ向かって動き始めたことを点滅するランプが示す。
「最近俺が行くと結構よく話しかけてくれるんだよね〜、これって俺に気があるってことかも知れないし?!そんで、ほら、今日ってバレンタインだろ〜、だからさ、…」
「あ〜…えっと、悪い、今日は付き合う時間無いんだ、ごめん」
「チョコレートとか貰えるかも…って、何だ、予定あるのか?」
エレベーターを待つ間、些か興奮気味になってきたアーサーの言葉の途中に、トノムラはなんとか割り込む。誘いを断られたアーサーはあからさまに残念そうな顔で―――多分、一人で店に行くのが『楽しみ3割・不安7割』だからだろう。
そんな友人に付き合ってやりたいのは山々であるが、トノムラには今日、何が何でもやり遂げなければならない…ノイマンに渡すチョコレート作りという予定があるのだ。
「うん、ちょっと…家でしなきゃいけないことが、」
「…そか、…あ〜、うん、まぁ、一人で行ってみるさ」
「健闘を祈ってるよ…いや、その前に追試か」
「ああっ、そうだった…!うううっ…授業さえ出ていれば…」
目先の山を思い出したアーサーが頭を抱えたところで、やっとエレベーターが降りてきて、そのドアが開く。それに吸い込まれるように力なく歩き出したアーサー―――俯き気味だった彼は、内側から出てきた人影に気が付くことができなかった。トノムラが声を上げたときには、既に遅く。
「アーサー、前!」
「え―――うわっ、た、…ッ!!」
「おっ…と、―――」
ドン、と音をたてて正面衝突したのと同時に、相手が持っていたペーパーバッグが床に落ち、中身が盛大にぶちまけられた。己の不注意で散らばったそれを、アーサーは慌てて拾い集めはじめ、トノムラもそれに倣う。
「すっ、すみません!」
―――手に集めたのは、全て似たような重さの可愛らしい箱や袋。
「いや、こちらこそすまないね、有難う」
「…あ、」
その中身は推して知るべし、それら―――この日に相応しい、色とりどりの小箱。その数ざっと50個といったところか…アーサー(とトノムラ)が拾い集めたそれを、微笑みながら受け取った人物を、彼らは良く知っていた。
『デュランダル教授…』
「おや…トノムラ君と、トライン君か」
ギルバート・デュランダル教授は農学部でDNA解析を専門に研究しており、若くして才能、人望共に溢れんばかりの―――つまるところ、モテモテの美男子教授である。つややかな黒髪と、切れ長の目を始めとする整った容姿に加え、その低く甘い声を聞きたいが為に、彼の講義に潜り込む他学部の女子学生が絶えないとか。
このテの人間は大抵同性には嫌われるのが世の中の常であるが、彼の場合それには当てはまらない。彼の温厚な性格などを考慮しても、その存在は一種のカリスマ、とも言える―――それほどまでに、彼は人気があった…ただ一人を除いて。
「・・・」
「アーサー…、」
俯いて渋面を隠したアーサーに気が付いたトノムラは、思わず声をかけてしまう。
―――アーサーが数ヶ月前にグラディス女史にあっさりと振られたことと、この教授は並々ならぬ関係があった。
「どうしたんだね、今日は―――ああ、またハルバートン教授の手伝いかな?」
しかし、そんなことは(多分)露も知らぬデュランダルは、穏やかな表情を崩さぬまま、トノムラにそう問いかけてきた。
専門は異なれど、トノムラは同学部の学生であり、また何かと関わる機会も多いので、それなりの関係はある。
トノムラは内心、過去のトラウマをその内に蘇らせているだろう友人を気遣いつつも、努めて普通に振舞った。
「はい、午前中だけですが」
「そうか―――…トライン君は工学部に移ったと聞いたが…どうだね、工学部は?」
デュランダルが、トノムラからアーサーに視線を移すと、アーサーはびくりと身体を震わせる。
―――トノムラが考える、アーサーの今の気持ちはこうだ。
一体その話は『いつ誰に』聞いたんだ?
「…はぁ、まぁ、なんとか…やってます…」
「そうか、頑張りたまえよ。―――君の先生が、君には頑張って欲しいと言っていた。…それでは、失礼するよ」
颯爽と身を翻して、研究棟の外へと去っていったデュランダルの背中を見送ってから、トノムラは隣で肩を落とす友人の背中を慰めるように叩いた。
「…アーサー、」
「気にして無い!俺は何も気にして無いぞジャッキー!」
声を掛けた途端、それを遮るように叫びだしたアーサーにトノムラは呆気に取られて言葉を失う。さらにアーサーは自らを奮い立たせるが如く、拳を握った。
「俺はもう過去のことは気にしない!そんでもって、いくらデュランダル教授が山のようにチョコレートを貰っていても、俺には関係ないのさ!」
―――確かに関係ないけど、めちゃくちゃ気にしてるじゃん…。
と、トノムラは思ったが、友人思いの心優しい彼にとって、事実を口にすることは憚られ。
結局彼に出来たのは、半泣きの顔で声高らかに笑っている友人をエレベーターに押し込むことだけであった。
ほぼ変わらぬはずのオフィスが、いつもより明るく感じるのは、多分自分だけではあるまい。
出社してから、まず定型業務をこなし、その後他セクションとの打ち合わせを行うために席を外していたノイマンが、それを終えてデスクに戻ってくると、見計らったように同僚の女性社員が近づいてきた。
「ノイマンさん、先週分のデータ、まとまりました」
「ん、ああ、ありがとう」
ノイマンが礼を述べて、差し出された書類を受け取ると、その上に小さな箱がちょこんと乗せられた。
「これは、」
「リーダーには毎日お世話になっていますので、その気持ちです」
そう言って、にこりと笑った同僚に、ノイマンは微笑みを返した。
「そうか、ありがとう…嬉しいよ」
日頃クールな表情を崩さないノイマンが、自分に向かってその端整な顔でもって微笑みかけてくれたことで、彼女は思わず眩暈を覚えたが、なんとか持ちこたえると自分のデスクへと戻ったのだった。
一方、ノイマンは受け取ったものを机上に置いておくわけにもいかないので、普段空けてあるデスクの引き出しを開ける。
―――既に大分の量になっている、本日の『気持ち』がそこに詰め込まれていた。
そこに今貰った分と、持って帰ってきた紙袋数個を加える…打ち合わせに向かうため、社内通路を歩いていて3個、打ち合わせをした他セクションの女性から1個、戻ってくるエレベーターの中で1個…そして、自分が席を外していた間に引き出しの中身が増えているのも気のせいではあるまい。
去年は正直、辟易していたが、先日のトノムラの話に従って素直に『気持ち』を有難いと思って受け取ることにしたノイマンである。
―――『気持ち』と共に受け取った『モノ』の方は、全部トノムラにやるつもりだが。
ノイマンはその左薬指の結婚指輪を外して歩くことは、もちろん無いので、もらう『気持ち』は全て普段の感謝諸々のものとして受け取っている。…もしもそうでない『気持ち』ならば、彼に受け取るつもりは全く無い。
ノイマンが欲しいものはただひとつ―――愛する妻からの手作りチョコレートのみ。
一体どんなチョコレートを…というよりは、どんな顔をしながらそれを自分に差し出してくるか―――帰宅するのが楽しみで仕方ない。
一刻も早く帰宅したいところであるが、まだ今日という日は12時を回ったばかりであった。フロアで仕事をしていた者たちが、次々と食事を摂るべく席を立っていく。
ここに勤める多くの者が、社員食堂で昼食を食べる。そこそこ安く、そこそこ美味い、社員食堂ではあるが、聞くところによると最近は『そこで働いているバイトとおっさんが面白いんですよ!』だそうだ。アルバイトのトール・ケーニヒ―――どうやら、来春から社員として入社が決まったらしい―――が、そう教えてくれたが、滅多な事が無い限り、ノイマンとその彼らには縁が無いだろう。
ノイマンも、パソコン上で行っていたデータの分析計算をキリの良いところで保存して、スタンバイ状態にすると持参の弁当を取り出し、机の上に広げた。
いただきます、と手を合わせてから、おかずのきんぴらごぼうに箸をつける。
毎朝、トノムラが作ってくれる弁当はとにかく美味い。
ノイマンが口に含んだ幸福に一人甘く酔いしれていると、不意に影が落ちる。
顔を上げた先には、ナタル・バジルールが自分の弁当を覗き込みつつ、立っていた。
「お疲れ、今日はきんぴらごぼうとえびフライか…」
「お疲れ様です、バジルール先輩。…ナタルもこれから社員食堂?」
「ああ、その前に渡しておこうと思ってな」
言いながら、ナタル持ってきた大きなペーパーバッグは、重量感のある音をたててノイマンの机の上に置かれる。
「随分と重たげな『気持ち』だなぁ、」
「お前はどうせ、チョコレートなぞ渡しても食べないだろう?」
流石に付き合いが長いだけあって、ナタルはノイマンの嗜好を良く知っている。
「ところで…トノムラは、甘いものは食べるか?」
「うん、あいつは甘いもの好きだよ」
「そうか」
じゃあ彼にはこれを、とナタルが取り出したのは小さなペーパーバック。
「トノムラには色々美味しいものをごちそうになってるからな」
「伝えておくよ―――有難う、ナタル」
ノイマンがそれを受け取ると、ナタルは満足そうに微笑んだ。
が、一転してため息をひとつつく。
「しかし―――正直、辟易するな、バレンタインデーという日には」
先日、バレンタインデーの一般的情緒をトノムラに教えられたノイマンとしては、ナタルの発言は意外であった。軽く首を傾げた彼の心中を読み取ったのか、ナタルが言葉を続ける。
「親しい者だけなら良いが…社長秘書としては、色々用意がな…」
「なるほどね、チョコレートも仕事の内って訳だ」
女性も何かと大変だな、とノイマンは同情した。多分、仕事の人間関係を円滑にするためのツールとして、この日を活用せざるを得ないのであろう。
「ああ、お前たちの分は、ちゃんと個人的なものだからな!」
「分かってるって、…俺たち以外にも『個人的』に渡す人は居ないのかい?」
含みを持たせたノイマンの言葉とその表情にナタルは一瞬言葉を失ったが、我を取り戻して叫んだ。
「…居たとしても、お前には教えないッ!」
「酷いなぁ、…大事な友人の恋愛相談ならいつでも受けるつもりなのに、俺」
眉根を寄せながら頬を染める友人の姿に、遠からず自分の言葉が実現しそうな気配を感じて、ノイマンは再び笑顔をみせたのだった。
後編へつづく→
アーニィが大学院在籍中はギル様と一、二を争う数のチョコレートを貰っていたに違いない(笑)…でもアーニィのチョコレート最高記録は高校時代です。
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