じゃっきーとふしぎのくに



4 すいすい、ぐんぐん



 森はちょっと入っただけであんなに暗くて深いと感じられたのに、煉瓦の道に沿って歩いていったら、不思議とすぐに抜けました。
 そうしてもっと不思議なことに、森を抜けてしばらく、振り返ってみたら、森がなくなっていたのです!
 ジャッキーもレイもびっくりして、あんぐりと口を開けるばかり。
 「・・・すてあちゃんたち、どこいったったの?」
 「わかんない…不思議だね」
 何度目を擦ってみても変わりません。ただ黄色い煉瓦の一本道だけが、まるで最初から森なんて通ってないよとばかりに、自然にあります。

 二人は不思議な気持ちでいっぱいになりつつも、道を進むことにしました。

 森の中で休憩したので、また元気いっぱいです。
 仲良く手をつないで、てくてく。
 しばらく歩いて行くと、今度は大きな大きな湖が現れました。



 「うわー、うみがあゆ!」
 「違うよジャッキー、海じゃなくって湖だと思うな」
 「みじゅーみ?」
 「海はしょっぱいけど…ほら、ここの水はなめてもしょっぱくないよ」
 波の打ち寄せのない湖畔に寄り、レイが人差し指で水を舐めるのを真似したジャッキー。レイの言う通り、海みたいに塩辛くありません。アークエンジェルにある蛇口を捻ると出てくる水みたいに。
 海ではなく大きな湖だということは分かったのですが、余りに大きすぎて、とても迂回できそうにありません。右でも左でも、ぐるっと回って行こうとしたら、とても時間がかかりそうです。それに、道しるべを兼ねる煉瓦道は、迷いなく水の中へと続いています。
 「どうしよう…」
 「船があればいいのにね」
 「しょっか、おふねにのえば、すいーっていけゆね」
 「あそこに家があるよ、誰かいるかもしれない。聞いてみよう」
 「うん」
 少し離れた湖畔に素朴な木造りの小屋が建っています。傍には桟橋があるように見えたので、もしかしたら船があるかもしれません。
 二人は小走りに、小屋へ近づきました。

 最初に辿り着いた位置からは、小屋に隠れて見えなかった小船が、桟橋につけてあります。
 「あっ、おふねがあゆよ」
 「でも…僕たちだけじゃ、こげないと思う。やっぱり、誰かに頼まないと…」
 そこで、小屋の中に人がいないかどうか、確かめてみることにしました。二人の背では、窓から中を覗き込むのは無理でした。

 とんとん、とジャッキーが扉を叩くと、しばらくしてゆっくりと扉が開きました。
 ―――ジャッキーがクルーゼさんのお家を訪ねたら、レイが扉を開けてくれたように―――レイと同じ年頃の少年が、そこにはいました。でもその子は、扉を開けてくれたのに、何にも喋りません。
 「あの…僕たち、この湖をわたりたいんです」
 結局レイが話し出すと、それを聞いた少年は、ふいっと室内へ戻って行ってしまいました。
 「あっ、」
 慌ててレイは引きとめようとしましたが、奥から大人が現れたのに気づいて、すぐに視線を向け直しました。
 「湖を渡りたいって。君一人か?」
 優しそうな表情をした、おじさんです。髪の毛は灰色ですが、白髪混じりなのではなく、元々そういう色なのでしょう。飾り気少ないシンプルな格好です。さっきの少年は、その人の後ろに回って、ズボンの裾をつかんでいて、ちらりと顔を出してこちらを観察しています。
 「僕と、もう一人です」
 「おねがいしましゅ!」
 「そこに船があったから、乗せてほしいんです」
 小さな二人の真剣な眼差しを、おじさんは目を細めてしばらく受け止めていました。
 「―――船を出す事はできる」
 ただし、とおじさんは片目だけ細めたまま、付け加えました。
 「船に乗るには駄賃が必要だ」
 「だちん?」
 「…お金ですか?」
 「いや、ココでは金など必要ない、無益なものだ」
 「じゃあ、何を…」
 「特に決まってはいないよ。君たちがそれぞれ、あげても良いものをくれればいい」

 必要なのがお金ではないと聞いて、二人はほっとしました。だって、お財布はおろか、お小遣いのほんのちょっぴりだって、持っていなかったのですから。
 とはいえ、何か渡さないとなりません。
 二人はポケットを探ってみました。

 ジャッキーのポケットからは、ミリアリアちゃんからもらったビー玉が二つ出てきました。
 レイのポケットからは、タリアさんという、ギルバートさんと仲のいい女の人がくれたレースのハンカチ。

 「・・・・・」
 これでは、船は出してもらえないでしょうか。
 二人は不安そうに、おじさんを見上げました。
 「これでもいいですか?」
 「充分だ」
 レイには、ビー玉とハンカチだけでわざわざ湖の向こうまで船を出してくれるなんて、ちょっと信じられません。何しろ、どちらもおじさんが欲しがりそうな物ではないと思ったからです。
 するとおじさんは、そんなレイの考えがわかったのか、にっこり笑って言いました。

 「ココでは、くだらないものこそ貴重であり、貴重なものこそくだらないんだ。
 それにしても、湖を渡りたいというやつが、まだいるとはね。そろそろ隠居かと思ってたんだが、まだ仕事は終わらないらしい―――シン、支度だ」

 おじさんの言葉に、シンという名前らしい少年が、やっぱり無言のままでしたが、動きました。棚の上から船長さんが被るような帽子と、壁に立てかけてあった長い木の棒を持って、おじさんに手渡します。
 「さあ、行こうか」
 走って小屋を出て行ったシンに続いて、帽子を頭に乗せて棒を持ったおじさんも小屋を出たので、二人もそのあとを追いました。


 桟橋の杭に絡めてあったロープをシンが解くのを待って、全員小船に乗り込みました。
 船は小さくて、もしジャッキーたちが大人だったら、とてもみんなは乗れなかったでしょう。
 「揺れて落っこちたら大変だからな、座ってその辺にしっかり掴まっていろよ」
 おじさんだけは立ったまま、棒一本で器用に船を漕ぎ出しました。
 「この湖、深いんですか?」
 「さあ。深くもあるし浅くもある。問題は深さじゃない。落ちたら、君たちの記憶は消えてしまう」
 「え?」
 「水に浸かれば浸かるほど、沢山の記憶や思い出が消える。しかも、大切なものからね―――気をつけなさい」
 そう言われて、二人は思わず身を寄せ合いました。
 レイがジャッキーの手をぎゅうっと握り締めてきました。
 「あ!・・・ジャッキー、さっき僕たち、水なめちゃった」
 「なめたった!どうしよう、じゃっきー、おもいできえちゃう!?」
 不注意を嘆く子どもたちを、おじさんは愉快そうに振り返りました。
 「水を舐めた?―――はは、こいつはまた…いや、君たち、随分とやんちゃなんだな。安心しなさい、舐めたくらいじゃ弊害はないさ」



 船が進んでいるというのに、湖面には波一つ立ちません。
 アークエンジェルが海を移動している時は、後ろに大きな白い波しぶきができるのに。
 ジャッキーは水面を覗いてみたかったのですが、万が一落ちてしまったら大変です。不安定な船がこれ以上揺れないように、なるべくじっとしているつもりです。

 でも・・・ジャッキーは、じっとしているのが大の苦手なのです。すぐにお尻がむずむずしてきて、動きたくなってきました。
 「どうしたのジャッキー?」
 「う〜・・・」
 一方こちらは、大人しくしているのに慣れているのか、きちんと膝を揃えて座っているレイが、聞いてきました。
 お友達がちゃんとできているんだから、ジャッキーにだってできるはず。
 ジャッキーがいてもたってもいられずなった頃、不意にそれまで船の最前でじっと前方を見据えていたシンが立ち上がり、二人の傍に寄ってきました。
 「・・・・・」
 『・・・・?』
 てっきり何か話しかけてくるのかと思いきや、相変わらずシンは黙ったまま、おもむろに片手をジャッキーに差し出しました。
 ジャッキーが両手で受け皿を作ると、そこにぽとりと―――ジャッキーのあげたビー玉のうちの一つが落とされました。
 「・・・?」
 行為の意味がわからず、ジャッキーが首を傾げると、おじさんがタイミングよくフォローしてくれました。
 「シンは一つでいいそうだ。一つは君に返すそうだ」
 「・・・あいがとう。こえね、みりぃにもやったの。きえいでしょ!だかやね、ほんとはね、もったいなかったの」
 「だからだろう。――――言ったろう、ここじゃ、貴重なものがくだらない。一つでも手元に残るなら惜しくないと思っている…違うかい?」
 「・・・ちがわない、よ」
 シンが返してくれた一粒は、ジャッキーが特に気に入っていた、青と緑の縞々模様。それを持っていられるなら、もう一つはあげてもいい、とジャッキーは思いました。
 何にも喋らず、表情も変えないシンは、もう一つのビー玉と、レイがあげたハンカチをポケットにしまいました。



 「さあ、着いた。水に触らないように気をつけて降りたまえ」
 おじさんが棒を湖底に刺して船を留めてくれている間に、二人はぴょんと飛び跳ねて桟橋に降り立ちました。
 すぐ近くに、ずっと水の中を続いていたに違いない、煉瓦の道が再び見えます。
 「―――どこへ行くのか知らないが、さようなら」
 「あいがとう、おじしゃん!」
 「ありがとうございました」
 おじさんはまた棒を操って、やってきた方向へと船を戻して行きました。
 レイがその場から動かず、船を見送っているので、ジャッキーも並んで手を振りました。
 船が大分小さくなった頃、微かに―――小さな影が、手を振ってくれたように見えました。それと、おじさんが被った帽子の、金の飾りがきらりと光を反射したようにも。





 煉瓦の道はまだ続いています。
 湖が見えなくなる辺りで、今度は前方に山がそびえ立っていました。
 木の一本、草の緑一つ見えない、岩ばかりの荒れた山のようです。
 朽ちかけた木でできた矢印が立っていて、そこが山を登る為の入り口なのでしょう。煉瓦の道はぐねぐねと曲がりくねりながら、上へ上へと続いています。


 石ころがたくさんある地面の中で、道の黄色だけが妙に浮いています。
 ジャッキーはつと立ち止まって、ポケットにしまい直した最後のビー玉を取り出しました。
 「れい、こえあげゆ」
 「え、でも…それ、ジャッキーの大事なのなんでしょ?」
 「うん、でもれいはじゃっきーのおともだちだかや、だいじなのあげてもいいなっておもうの」
 「…でも、僕はジャッキーにあげられるのは、もう何にも持ってないよ」
 「いいの、じゃっきーがあげたいんだもん」
 「・・・じゃあ、もらうね。ありがとう、大事にする」
 「うん」
 「きれいだね。こうすると、キラキラしてる」
 レイはビー玉を二本の指でつかみ、太陽の方向へ向けてそう言いました。
 「ほんと、もっときえいだね!」
 二人は、とてもすごい発見をしたような気持ちになり、嬉しくなると同時に元気も出てきました。これなら、大変そうな山も登って行けそうです。











ねくすと→ 「びゅびゅーん、とんとん

 今回のネタは渡し守・カロン@ギリシア神話。これまたかなり湾曲なパロディ。そして「おじさん」の名前を出せなかった…シンが喋らないから(笑)。

 2006/5/28 雪里