じゃっきーとふしぎのくに |
2 ひらひら、どきどき ぱちり、と目を開けたジャッキーは、しばらくそのままぼんやりとしていました。とっても暖かくて、いい匂いがします。ふかふかのフワフワ、とは言えないアークエンジェルのベッドとは何だか違うような気がします。同じベッドで寝ている、ノイマンさんの匂いとも違います。もっとキレイで、美味しそうな匂いです。 無意識に手をもぞもぞさせて、隣に居るはずのノイマンさんを探したジャッキーでしたが、ようやくはっと起き上がりました。 ベッドどころか、お布団も枕もありません。一緒に寝ている、大きなペンギンのぬいぐるみもありません。 「…?」 見たこともない風景にジャッキーは戸惑うよりも先に呆然として、右へいっぱい首を回し、それ以上回らないというところまできたら、今度は反対側の左へぐるり。 「…のいまんしゃん?」 恐る恐る呼んでみましたが―――ノイマンさんの返事も、姿もありません。 一体ここは、どこなのでしょう? ジャッキーは一生懸命、眠る前のことを思い出そうとしました。 いつ、寝たんだっけ? 寝る時にノイマンさんはいた? ―――いいえ…それどころか、ジャッキーはベッドに入って眠ったのではなかったじゃありませんか。 ノイマンさんと一緒に甲板へ出て、雨が止んでくれるように雲にお願いをしていて…雨がたくさん降っていたので傘を差したら―――飛ばされちゃったんだ! 体が一気に高く上がって、左右上下がぐるぐる回って、ジャッキーは目を回したんです。それから…それからの事が、思い出せません。気が付いたら、ここで眠っていたみたいです。改めて見れば、あの時着ていたレインコートのままです。ただし、傘はどこかへ行ってしまったみたいですが…。 辺りは一面、花や木が生えています。大体は、ぐっと背の低い草―――芝生という言葉をジャッキーは知りません―――が地面を覆っていて、その一部だけが一本の道らしく、茶色くて四角い石―――煉瓦というのも、もちろん―――が敷き詰められています。 ジャッキーが寝ていたのは芝生の上で、随分暖かいのは、太陽が燦々と照っていて、そのおかげで草も土も暖められているからでしょう。いい匂いというのは、あちこちに咲いている色とりどりの花。お菓子の甘い匂いも混じっています。 ジャッキーがあれだけ願った青空が、ここでは惜しげもなく広がっています。 でも―――ジャッキーは一人ぼっちなので、急に寂しくなりました。 ノイマンさんはどこ?艦長さんやチャンドラさん、キラにミリアリアにカガリ…誰もいません。どれだけ呼んでも、返事は返ってこないのです。 お客さんがくるまでいい子で待っていなさいって言われたのに、我慢できなくて外に出たから、罰が当たったの? 「のいまんしゃぁん…えぐっ…」 見る見るうちにジャッキーの大きな目に涙が浮かんで、ぽろりと零れました。 ぽろぽろ、ぽろぽろ。 涙は次から次へと出てきて、止まりません。 芝生に座り込んだまま、ジャッキーはついに声を上げて泣き出してしまいました。 「珍しい珍しい、人間の子ども」 自分の泣き声しか聴こえなかったジャッキーの耳に、不思議な声が届きました。きょろきょろしてみても、誰もいません。 「・・・?」 「どうしたの、おちびさん。何をそんなに泣いているの」 「…だぁれ?」 「ここよ、おちびさん。貴方の後ろ」 「うしよ?―――どこぉ?」 言われた通りに後ろを向いても、人影はありません。ずらりと生い茂ったバラの木だけ。不思議な事に、小さな笑い声がいくつも聴こえてはくるのですが…。 「貴方の目の前よ」 「ここよ、ここ」 「ほら、私が一番近いわ」 くすくす、笑い声は連なる鈴のよう。 ジャッキーは泣くのも忘れて、じっと前を見てみました。すると… ひら、とジャッキーの目の前に咲いていたピンク色のバラの花が一輪、まるで頷くように動いたじゃありませんか! ジャッキーはあんまりビックリして、目も口もあんぐりと開けたまま、固まりました。 「おやおや、今度は固まっちまった」 「泣いた子は笑わせないとねえ」 「そうねえ」 見事に咲き誇っていたたくさんのバラが、こぞって動き始めました。ピンク、赤、白、黄…色んな色がゆらゆら、ひらひら。 「おはながしゃべってゆ!」 「そうよ、おちびさん」 「やっとアタシたちを認めたね」 「さておちびさん、どこから来たんだい?ここいらじゃ見ないけど」 黄色いバラが聞いてきたので、ジャッキーはまだビックリしていたのですけれど、何とか答えようと思いました。 「えっと…あーくえんじぇゆだよ。かぜがびゅーってふいて、じゃっきーね、とんじゃったの。あーくえんじぇゆ、どっちにあゆかおしえてください」 初めてお話する相手だったので、丁寧にお願いしたつもりだったのですが… ざわざわ―――バラの茂みが、風もないのに音を立てます。 「こいつは驚いた!」 「この子はココの子じゃないよ」 「どこから飛ばされてきたのやら」 「ほらあれだ、西風が随分慌てて走っていったじゃないか」 「そうそう、きっとアレに乗ってきたのね」 「あの…」 ジャッキーがもう一回聞こうとすると、バラたちはピタリとお喋りを止めました。つられて口を閉じてしまったジャッキーでしたが、再び開く前に、さっきの黄色いバラが先に喋りだしました。 「帰りたいかい、おちびさん?」 「―――うん、じゃっきー、あーくえんじぇゆにかえいたい!のいまんしゃんにあいたいよぅ…」 「それなら、まずは向こうの家にお行き」 バラが右の方を向いたので、そちらを示しているのでしょう。 「そこに住んでる人間に、帰りたいってお願いするんだよ。そうしたら何とかしてくれる」 「そのおうちは、すぐ?だえがすんでゆの?」 「おちびさんの足でもすぐに着くよ。―――ただし、そこの人間に対して、どうして?と聞いてはいけない。いいね、不思議に思ったりしても、何にも聞いちゃいけない」 「―――?」 黄色いバラは、声を顰めて続けます。 「着いたらお願いをして、相手が教えてくれた通りに行きなさい。なるべくすぐに家を出るんだよ」 「どうして?―――あっ」 慌ててジャッキーは口を押さえましたが…バラはくすりと笑っただけで、 「ほら、そんな風に、人間って言うのはすぐにどうして?と言っちまうもんさ。気をつけるんだよ…もしも、相手にどうして?と何かを聞いたら―――永遠に帰れなくなる」 「のいまんしゃんにも、あえなくなっちゃう?」 ざわざわ…バラの茂みはざわめくばかりで、今度は答えをくれません。 「さあ、もうお行き。いつまでもここにいたらダメだよ」 「…うん。えっと…あいがとう、おはなさん」 「どういたしまして―――可愛いおちびさん」 それっきり元通り、普通の花になってしまったバラを振り返りつつも、ジャッキーは教えてもらったように、右の方向に歩き出しました。 煉瓦の道は太い一本と、そこから所々分かれる小道があるみたいです。 道なりに右に歩いてきたジャッキーは、太い道がぐうっと曲がっていくのと、まっすぐに続く小道の分岐点で立ち止まりました。 あのバラは右に向かえと言ったのだから、このまままっすぐ歩いた方がいいのでしょう。 また歩き出すと、すぐに一軒の小屋が見えてきました。 「おうちあった!」 そこに住んでいる人に聞けば、アークエンジェルへの帰り道や、ノイマンさんの居場所を教えてくれるかも―――ジャッキーは自然駆け足になりました。 何から何まで木で作ってある小さな家でした。 正方形の箱に三角の屋根が乗っかっている、絵本で見るような形をしています。―――そういえば、この家だけでなく、全部の風景がまるで絵本の挿絵のようだと…ジャッキーはようやく気づきました。 丸太を重ねた階段を上って扉の前に立ち、ジャッキーはそうっとノックしてみました。 コンコン、と最初に叩いた音は思ったよりも小さくて、そのせいか、中から誰かが出てくる気配はありませんでした。 一度ジャッキーは振り返って、周囲を眺めてみました。 この家の庭なのか、簡単に囲いのしてある花壇がありましたが、ここには花は一輪も咲いていません。全部草のようです。それなのに蝶々が数匹飛んでいて、その内の一匹がジャッキーの鼻先へ漂ってきました。 「小さな客人、何の用事だ」 「!?―――ちょうちょさん?」 「そうだ、今お前の顔の前にいる。―――さて、何用か」 もしかしてこの家に住んでいるのは、蝶々なのでしょうか? 「ばやさんにね、このおうちにいきなさいって…」 「バラ?あのお喋りなバラか」 「う、うん」 蝶々は喋るのをやめて、ただ羽ばたいています。よく見ると、白い羽からきらきらと何かが舞っています。キレイだなあとジャッキーが寄り目になって見ていると、蝶々は唐突にまた話し出しました。 「ならば中に入るがよかろう」 「おうちのひとは…」 「主人は中にいる」 それだけ言って、蝶々はまた草ばかりの花壇へと飛んでいきました。どうやら蝶々が家に住んでいるわけではなさそうです。 大きく息を吸ってから、ジャッキーはもう一度―――今度はもっと大きく、扉を叩きました。 中から扉を開けて顔を出したのは、ジャッキーが想像していたような大人ではなく、ジャッキーより少し大きいくらいの少年でした。 「…どちらさまですか?」 「あ、あの、えっと…」 面食らったおかげで上手く状況説明ができないジャッキーに、少年は困ったように眉を顰め、背伸びして掴んでいたドアノブから手を離しました。 「ラウのお客さん?」 「らう?…えっと、じゃっきー、」 どうしよう、どう言えばいいんだろう? 心臓がドキドキして真っ赤になってしまったジャッキーを、無言で待っていてくれた少年でしたが、その内困り果てたのか、顔を家の中に向け、誰かを呼びました。 すぐにもう一人奥から出てきて、その人がしっかりと扉を開けました。 「おやおや、これはまた」 「あのねラウ、この子…」 「あぁ、どうやら私の客人のようだ。―――さて、どうしたのかな?」 言葉が自分へ向いたので、ジャッキーは上を向いて―――またまた、ぽかんと口を開けました。 「…ど―――」 『気をつけるんだよ…もしも、相手にどうして?と何かを聞いたら―――永遠に帰れなくなる』 辛うじて、バラの忠告を思い出し、ジャッキーは急いで口を手で押さえました。 どうしてそんなのを顔につけてるの?―――そう、聞きそうになったから。 「ん?どうしたのかな」 「えーっと…ばやさんにね、ここにすんでゆひとにおねがいしなさいっていわえたの。じゃっきーね、あーくえんじぇゆにかえいたいの」 「ほう…?まあ、中に入りたまえ。お茶とお菓子をあげよう。詳しく話を聞かないと、答えようがないからね」 そう言ってその人は少年を促し、中へ戻ろうとしたので、ジャッキーもちょっと緊張しながら後についていきました。 絶対に聞いちゃいけないの。 口調は優しくて、口元はにっこり笑っているその人が―――少年がラウと呼んでいたから、それが名前でしょう―――どうして大きな仮面なんて着けているの、と。 どうして聞いたらいけないのか分からないけれど、バラがそう言っていたから。 どうして?と聞いたら、アークエンジェルに帰れなくなってしまうかもしれないのですから…。 何度もつっかえつっかえ、ジャッキーは何とか説明をしました。 「―――なるほど、では君は、アークエンジェルとやらに帰りたいのだね」 「うん」 「ふむ…」 家の中は部屋が一つ、奥にもう一つ部屋があるみたいですが、きっとそこは寝室でしょう。壁や戸棚にはとにかく色んなものが置いてあります。 大きな木のテーブルに、ジャッキーは少年と並んで座りました。椅子は大人用しかないのか、二人とも足が床につかなくてブラブラさせています。 出してくれたミルク入りのお茶はほんのり甘くて、ビスケットもサクサクしていてとても美味しいものです。 「どっちにいったやいいの?」 ビスケットを飲み込んでジャッキーが聞くと、ラウさんは椅子を引いて立ち上がり、ゆっくりと室内を輪を描くように歩き出しました。 とにかく白い人です。白じゃないところといえば髪の毛とちょっとだけ見える靴くらい。長い服を着ているので、ほとんど靴が隠れています。裾や袖がたっぷりとしていて、フードもついています。髪の毛は金色で、男の人にしては随分長めです。男だと思ったのは―――何せ顔がほとんど隠れていますから―――声が女の人にしては低すぎるからです。 大分長い時間そうやって歩いていたラウさんが、ようやくジャッキーの方を見ました。くうっと口元が上がったので、笑ったのでしょう。 「確かに帰ることはできる。少々遠いがね」 「どっち?じゃっきー、はやくかえいたいの」 「まあ待ちなさい。急いては事を仕損じると言うだろう?君が帰りたいと言う所までは、大分歩かなくてはならないし、途中危険な目にも遭うかもしれない」 そう言われて、ジャッキーは不安になってきました。 早く帰りたいけれど、危険な事ってなんだろう?怖いかな?一人でも帰れるかしら? でも… 「…でもじゃっきー、のいまんしゃんのとこよにかえいたいの。あーくえんじぇゆに、みんなのとこにかえいたい」 怒るとちょっと怖いけれど、やっぱり一番好きなノイマンさん。 ぎゅうってされると苦しいけれど、艦長さんの抱っこも大好き。 色んなことを教えてくれるチャンドラさんや、優しいミリアリア、いっぱい遊んでくれるカガリ。みんな、みんな。 そこへ帰る為なら、怖い事も我慢できるはず。 じっとジャッキーとラウさんの話を聞いていた少年が、ふと俯きました。彼もまたラウさんと似た金色の髪で、女の子みたいに肩まであります。でもズボンを履いているので男の子なんだろうと、ジャッキーは思います。 「―――どうした、レイ」 「…なにか…僕も…」 具合でも悪いのかと心配になり、ジャッキーが横を向くと、ラウさんがこう言いました。 「彼はね、君と同じように、いつの間にか"ココ"にいたんだ。ところが、どこへ帰ればいいのか、どこに帰りたいのか分からないんだという。―――きっと君のように、誰かのところへ帰りたいんだろうにね。思い出せるまでここに住めばいいと言ってあるんだ」 レイという少年は、途方に暮れた表情でジャッキーとラウさんを見ました。 「…僕も…帰りたい。―――ギルのところ」 「―――思い出したのかね」 「…ギル、…名前だけ。でもきっと、僕はその人のところへ帰りたい」 きっとレイにも、ジャッキーにとってのノイマンさんみたいに、大好きで大切な人がいるに違いありません。ジャッキーとおんなじ… 「ジャッキーの話を聞いてると、もやもや…うぅん、ぴりぴりします。僕も思い出せるかも…」 「じゃあ、じゃっきーといっしょにいこ!いっしょにかえよう!」 身を乗り出してジャッキーが言うと、レイはちょっとビックリしたみたいで、でもおずおずと微笑みました。 「いっしょに行ってもいいの?」 「うん!」 ここを出てどっちに向かえばいいのか…ラウさんにしっかり教えてもらい、二人は出発する事にしました。 ラウさんは二人にお菓子とミルク瓶の入ったバスケットを持たせてくれました。 「くれぐれも気をつけていきたまえ」 「あいがとう!」 「おせわになりました」 「―――二人とも無事辿り着けるのを祈っているよ」 扉の前に立って見送ってくれるラウさんに手を振って、ジャッキーとレイは元気よく歩き出しました。 子ども達の背中が丘の向こうに消え。 鼻先を掠めた蝶々をちらりと見たラウさんが、それまでとは打って変わって皮肉そうに笑いました。 「偶然かな、あの子ども、一言も私に疑問を呈さなかった」 「なんと…稀有ですな。それで貴方は、人の良い振りをして送り出したと」 「仕方あるまい。そういう理なのだから、ココは」 「最初の子どもは―――あっさりと掛かって記憶を封じられたものを…すり抜けられましたか」 「フ、か弱い蝶とて、時には毒蜘蛛の巣から抜け出すだろう?」 「―――成る程」 不思議と言えば全てが不思議なこの世界で 安易に何かを疑ってはいけない 存在を否定してはいけない すれば即ち 囚われて、永遠にこの世界の一部となる 歌い狂う花 空を飛び跳ねる魚 理想論を掲げる獣 何も不思議はない世界 「受け入れられず倒れる前に私の元へ戻ってくるがいい。私は全てを許容しよう。空になったその心を充たしてあげよう。信じる事ができなくなった時、疑いを抱いた時。私はお前を迎えに行こう」 ねくすと→ 「どんどん、わくわく」 いや、決してシリアスにはなりませんから(笑)。 2005/12/7 雪里 |