某製薬会社は、大きなビルディングを丸々所有する大企業。ビルの中には、社員の為に営業される食堂もある。
 その社員食堂は、二人の社員と三人のバイトと数名のパートで成り立っている。―――この構成は、つい先日から。







社員食堂の風景。







 ランチタイムの終了間際。エリート揃いのセクションで、地味ながら堅実な仕事振りで認められつつある―――チャンドラは、食堂へ向かっていた。
 切りのいいところまで…と思っていたら、昼休みを削ってしまったのだ。自然早足になる。食事自体は十分もあれば済ませられるが、最短タイムを更新したいとは思わない。
 彼が食堂の入り口に辿り着いた時、同じタイミングで逆方向からも社員が来た。相手が先に気付き、チャンドラを見た。
 「おや、今ごろ昼食か」
 「バジルール先輩。ええ、早食いを披露しにきたって感じで」
 「そうか…私にも教えてくれ」
 肩を竦めてみせたのは、社長秘書のナタル・バジルール。チャンドラにとっては、同じ大学の先輩にあたる。
 どうやら彼女もチャンドラと同じ状況らしい。
 二人並んで食堂へ入り、そのままカウンタへ向かう。既に席はがら空きで、場所確保をする必要もない。
 「先輩、弁当じゃないんですか?」
 「普段はそうなんだが…いや、弁当ではなくて、出勤前に買ってくるんだが、」
 「はあ」
 ナタルは『本日のランチ』と書かれたボードを見上げつつ、
 「今朝は時間がなくてな。おまけに午前の仕事が押して、この有様だ」
 「寝坊でもしましたか」
 「まさか!家を出る直前に親と口論になったんだ」
 「へえ?」
 有能美人秘書と名高い彼女が、家で親と口喧嘩をしている―――光景がどうも想像できず、チャンドラは眉を顰めた。

 ナタルはAランチ・チャンドラはBランチを注文し、食器返却口すぐ近くのテーブルに向かい合わせで座る。すでに昼食を終えた社員達が出した大量の食器を、一人の男性が洗っている。
 「で、何でまた口論なんかになったんです」
 「うむ・・・」
 サラダにフォークを突き刺して、ナタルは不機嫌丸出しな溜息をついた。
 「見合いをしろとうるさいんだ、最近…昨夜新しい見合い写真を持ってきて、それがしつこくって。さっさと部屋に引きこもったら、朝一でまた」
 心底うんざりしているのだろう―――ナタルは不味そうにサラダを頬張り、正面のチャンドラを見た。彼は色のついたメガネの向こうで、目を丸くしていた。
 「?」
 「いやあ―――偶然ですね。俺も親に見合い薦められてんですよ」
 「ほう」
 「俺はまだ早いって言ってんですけどねぇ、結婚は縁だ、これは良縁だの一点張りで。いっそ見合いするだけしてしまおうかとも思ってるんですが。先輩もいっそそうしたらどうです?相手の前できっぱり、結婚する気はないって言ってしまえば、立ち消えるでしょう」
 「しかし、それだと相手に失礼ではないか?」
 「ま、そういう意見もあるでしょうけど…」
 チャンドラは困った様に、手に持ったフォークを上下に振った。
 「一つ断ったら、次を探して持ってくるに違いないでしょうしね」
 「ああ…絶対そうだ。まったく、自分の結婚相手くらい自分で決めるというのに…」
 「お互い苦労する家みたいですね」
 そうして二人は、短いランチタイムをギリギリまで使って、食事と会話(というより愚痴)を満喫したのだった。


 がちゃん!
 派手な音―――明らかに食器が落ちて割れた、その音に、真っ先に反応したのは。
 「おいオッサン!また割ったのかよ!」
 バイトリーダーのオルガだった。食器洗浄機を使っていた彼は、食器返却口内側に設置されている大きな流しで、おおまかな皿洗いをしているはずの男に叫んだ。
 ワイシャツの袖をまくり、肘まで泡をつけて、スポンジを握り締めているのは―――ムルタ・アズラエル。以前は泣く子も黙る(?)理事長だったのだが、不祥事が発覚して失脚。クビにこそならなかったものの、こうして食堂の下働きと言う屈辱に甘んじているのだった。ちなみにアズラエルと共に不正による甘い汁をすすっていた、サザーランド元部長も、今は食堂の一角にようよう居場所を確保している状態。
 「オッサンってば!今度は何割ったんだよ、皿か茶碗か?」
 オルガが近づいても、アズラエルは硬直―――否、わなわなと震えている。
 「・・・オッサン?」
 「み」
 「み?」
 「見合い…ですって…?」
 「ミアイ?」
 意味が分からないオルガが鸚鵡返しに言うと、アズラエルはゆっくりと横を向いた。半笑いで、はっきりいって不気味な表情だ。
 「彼女が見合い!けけ結婚するかもしれないんですよっ!?何てことだ…あぁ何てこと!」
 「…オッサン、頭大丈夫か」
 尤も、アズラエルがズレているのは今に始まった事ではないので、オルガは半ば哀れみを込めて呟き―――視線は、シンクの中に沈んでいるはずの割れた食器を確認している。
 「くそっ、この僕がこんなところでこんな事をしている間に…由々しき事態!しかし!今の僕では彼女の家に見向きもされないんですねえ…早く地位を取り戻さないと」
 「大きな欠片は拾ったけど、まだ小さいの沈んでそうだから、気をつけろよ」
 「そうですよ、僕が以前のようになれば、彼女を手に入れるのも夢じゃないはずです!」
 「それ終わったら、テーブル拭いてくれよ」
 泡だらけの手を振り回して何やらぶつぶつ言っているアズラエルを全力で無視して、オルガは洗浄機の元へ戻った。

 「ったく、あのオッサンは…人手不足だけどむしろ要らねーっつの」
 家事一つまともにした事もないであろう三十男よりも、長期バイトの学生達の方が余程仕事ができるのである。
 「最近ますます危なくなってるよねー最悪!」
 洗浄機から出てきた食器を拭いていた、オルガと同じバイトのクロトが甲高い声で笑っている。社員食堂の名物バイト三人組―――最後の一人、シャニはその横で黙々と残り物をタッパに詰めている(お持ち帰り用だ)。
 ランチタイム時は、シャニが主食(ご飯盛りなど)・クロトが惣菜の盛り付け・オルガが注文と運びを担当する。それが一番効率がいいからだ。
 「皿は割るし盛りつけは間違えるし接客態度悪ぃし」
 「あれで給料僕等より高いの、滅殺!」
 「―――お見合い、誰なの?」
 いきなり会話に入ってきたシャニに、オルガとクロトは一瞬沈黙する。
 「オッサンが好きな人?失恋?」
 「…シャニ、お前案外人の話聞いてんだな…」
 とはいえ、シャニは顔を上げるでもなく、手元はずっと動いている。

 「見合いうんぬんの話は」
 シャニに続いて会話に割りこんできたのは―――次の仕込みをしている、サザーランドだった。
 三人は揃ってくるりと振り返る。
 「社長秘書のバジルール女史の事だな。前から目をつけていたようだから」
 キャベツの千切りをする手を止め、サザーランドは物知り顔で三人に教えてくれた。ちなみに千切りは余り細かくない。
 「あの女、秘書だったんだ」
 「ちょっと怒られたいタイプ!」
 「…お見合い、誰と?」
 三者三様の反応に、サザーランドは「さあ」と合っているのか外しているのか微妙な相槌。
 オルガが更に情報を聞こうとした矢先、情報源は奪われてしまった―――厨房に入ってきたパートの中年女性組によって。
 「あらあらサザーランドさん、それじゃあ千切りとは言えないわぁ」
 「せいぜい百切りねえ、この大きさじゃあ」
 「す、すいません…」
 「あらでも、前よりはずっと上手くなったわよ〜」
 「そうそう、最初はキャベツ切るより自分の手切っちゃってたものねえ」
 ―――何故かパート勢に人気(?)らしい。オルガは以前「渋くてステキ」と噂していたのを聞いたこともあった。
 すっかり向こうへ行ってしまった情報源を諦め、少年達はまた三人だけの輪に戻る。
 「変な会社だよな、今更だけどよ」
 「べっつにぃ〜給料は結構いいし、僕らには関係ないじゃん」
 「まあな」
 「バジルールさん、お見合いするんだ…」
 「オッサン、元々社長…じゃなくて部長…でもないな、なんだった?理事?」
 「理事理事!つっても、理事が何なのか知らないけどね!」
 「それが今や皿洗いか〜人生何が起こるか分かんねーな」
 「転落人生、最悪!」
 「結婚したら、退社?」
 ―――噛み合ってなくとも、三人の会話はいつもこの調子。
 同時に返却口の方を見た三人は、今だ引き攣った笑いを浮かべながら何事か呟きつつ、延々とコップを洗うアズラエルに…ほんのちょっとだけ、同情したとかしないとか。 











 ノイマン達が勤める会社のワンシーンでした。書いてる内にシャニが無性に愛しくなってきました…。

 2005/2/13 雪里