散花嘆くなかれ。 2







 「へっくしょい!」
 夫婦の仲睦まじい朝食に割り込んできたのは、間抜けなくしゃみだった。
 コーヒーカップを傾けたままのノイマンと、トーストに噛り付いた直後だったトノムラは、揃って声のした方を振り返った。
 「…んあ…?」
 アーサーが、半分も開いていない眼をこすっている。
 一口目のパンを嚥下し、トノムラは声をかける。
 「起きた?アーサー」
 「おはよう」
 続けてノイマンも朝の挨拶をする。
 ―――が、目覚めたばかりのアーサーは状況が飲み込めないのか、ぼんやりとしたまま。
 「アーサー、おーい。だいじょぶかー」
 トノムラがキッチンから手を振ると、リビングのソファから落ちかけたままのアーサーは顔を顰めた。
 「…あ、おはよう…ございまぁ、っふ」
 「どうやら、大丈夫じゃないみたいだな」
 笑いながらノイマンは、マイペースにコーヒーを飲み続ける。
 「まだ早いから、もっと寝てていいよ」
 「…んー…」
 泣いた事と過度のアルコール摂取で、アーサーの顔は酷いものだった。当然ながら二日酔いだろう、頭痛がするのかこめかみを押したりしながら、再び毛布を被った。



 その後、ノイマンはいつも通り出勤。
 トノムラはと言えば、玄関先でいってらっしゃいのキスをして、朝食の後片付けをして(ちなみに昨夜の片付けは朝食の支度の前に済ませた)、曜日指定のゴミを出したついでにちょいとお隣のラミアスと井戸端会議をして、洗濯機を回しつつベッドメイキングをして、TVニュースを流しながら新聞を読んでいると洗濯が終了したのでそれを干しにベランダへ。
 ―――そこでやっと、アーサーが覚醒したのだった。
 次に干す洗濯物を足元の篭から取る為に振り返ったトノムラの視界に、ソファの上で髪を手櫛で梳いて―――というより乱しているアーサー。
 「あ、今度こそ起きた?二日酔い大丈夫?」
 「うー…頭痛い。かなり。ガンガンする」
 「…だろうなぁ…相当飲んだもんな、お前。何か食べれそう?」
 「うーん…」
 腫れぼったい瞼で瞬きしている姿は、重度の二日酔い以外の何物でもない。大量のアルコールに加え、飲んでいた時の精神状態も最悪だったのだから。
 仕方ないなぁと一人ごち、トノムラはさっさと洗濯物干しを終えると、そのままキッチンへ入った。
 彼がリビングに戻った時、アーサーは再びソファに沈没して、付けっぱなしだったテレビを見るともなしに見ていた。
 「お粥って言うか、薄めの雑炊作ったけど、」
 「あーありがとジャッキー」
 「食べれそうだったら食べろよ。糖分摂った方が、アルコール分解速いって言うし」
 「うん」
 昨夜飲み食いしたテーブルに、今度は実に家庭的な、小さな土鍋。
 ずり落ちる様にソファから床に移動したアーサーは、決して食欲旺盛な手つきではなかったが、もたもたとレンゲを手にした。
 「吐き気は?」
 「今んとこそれはない…」
 「なら、まだマシだな。それ食ったら、胃薬やるから」
 「うう…何から何まですまないねぇ…」
 「―――冗談言う余裕あるなら上等だ」



 ところが。
 土鍋の雑炊を三分の一ほど食べたところで、アーサーは唐突に顔色を変え―――アレである、二日酔いにおける最悪の症状。
 そうして午前中はひっきりなしに手洗いに通う羽目になり、午後になっても顔色は酷いもので…遂にトノムラは諦めた。
 「ま、今回は多めに見てやるけどさ…」
 自力で帰れるよう回復するまで、ベッド―――つまり奥の寝室を友人に提供したのだった。





 アーサーが何とか復活したのは、夕方を通り越してすっかり夜だった。
 夕食を作っていたトノムラは、寝室のドアが開く気配に気付き、キッチンから顔を出した。
 「さすがに胃が空っぽだろ」
 「ああ。でも、腹は減ってるけどあんまり食べたくない感じ」
 「飲みすぎじゃあしょうがないね」
 「長居してごめんな、旦那さん帰ってくるだろ―――そろそろお暇するよ」
 申し訳なさそうに言うアーサーだったが、まだ血色がよろしくない。
 「どうせだから夕飯食べていけよ」
 「え、でも…」
 「ふらふらのお前をこのまま帰す方が心配だよ」
 菜箸ごと指差され、アーサーはわしわしと頭を掻いた。







 ノイマンにしてみれば。
 何より愛する伴侶の頼みとあらば無下には出来ず、昨夜は客人を招いたわけであるが―――今夜はまた二人きりで、夕食もその後もベッドまで…二倍いちゃいちゃしようと思っていたのは、自然な流れ。

 なのに、意気揚揚と帰ってきてみれば―――何故か、夕食の支度をしている背中は二つ。

 「ノイマンさんお帰りなさい!今日は肉じゃがですよ〜」
 「…肉じゃがは大歓迎だが」
 「あ、こいつ結局夜まで寝てたんで、ついでに夕飯食べてけって言ったんです」
 「・・・・・」
 ノイマンの視線に、箸を並べているアーサーが背筋を伸ばす。
 「すみません、…図々しく、て…」
 アーサーの言葉は段々と尻すぼみになった。
 「ちょっとノイマンさん、」
 二人の間に割って入ったトノムラを一瞬見つめ、ノイマンは溜息と共にリビングへと戻り、そのまま着替えの為に寝室へと向かう。
 「えーと…ノイマンさんちょっと機嫌悪い、みたい…」
 「明らかにお邪魔虫だな、俺…」
 二人は顔を見合わせ、互いに微妙な居心地を味わった。


 胃弱状態のアーサーを考慮し、薄め軽めの和食中心献立だったのもまた、ノイマンには気に入らない。無論肉じゃがは好物だが。トノムラの手料理は何だって美味しいが。
 当然食卓に会話は少なく、何とも重い空気が蔓延している。
 「―――で」
 唐突にノイマンが声を発し、隣り合って座っていた二人は同時にびくりと手を止めた。
 ノイマンは視線も上げず食事の手も止めず、
 「君はいつ帰るんだ」
 「え、あの、」
 「ちょっ―――ノイマンさん!」
 不機嫌丸出しの問いに、アーサーとトノムラから反射的に出た声はほぼ同時。
 「別に一週間も二週間も泊まってるわけじゃないんですから、そんな言い方ないでしょう!大体、こっちに呼べって言ったのはノイマンさんじゃないですか!―――アーサー、何だったら今夜も泊まって、明日万全になってから帰―――」
 さすがのトノムラもノイマンに食って掛かって反逆に出たが、…残念ながらまだまだノイマンの迫力には敵わなかった。鋭い視線で射され、トノムラは言葉に詰まる。
 アーサーは、既にすっかり敗北していた。
 「きき気持ちだけ受け取っておくよジャッキー、ご飯いただいたら、すぐ帰るよ、うん、夫婦水入らずを邪魔しちゃいけないし」
 「懸命だな」
 ノイマンは徹頭追尾素っ気無く、黙々と食事をしている。
 半笑い半泣きで急にスピードをあげて食べ出した友人を見て、トノムラは重い重い溜息をついた―――。





 「俺、車で送ってきますから」
 玄関からの呼び掛けに、返事はなかった。
 「んもう…すっかり拗ねちゃった」
 「ジャッキー、道分かるしいいよ、遅いし」
 それに、あの旦那の様子では、自分を送ってくれた後の友人がどうなるか分からない―――言葉にはしなかったが、アーサーの心中はこんなところだ。
 「いいのいいの!―――偶には俺も意志通さないと、今後エスカレートする、絶対」
 「―――――」
 エスカレートの前にお前がどんな目に遭わされるか心配だ…アーサーは思ったが、やっぱり口には出さなかった。





 アーサーは実家通いである。大学に自転車で通える程度の距離なのだ。
 そこまで車で―――どうやら旦那のものらしい―――送ってもらい、自宅前で遠くなって行く車に手を振りながら―――アーサーは、優しい友人がどうか可哀想な目に遭いませんようにと祈らずにいられなかった。
 ついでに―――実は昨夜、手洗いを借りて戻る際、酔っていた所為もあろう…リビングを行き過ぎそうになって、寝室に入りかけた事がバレませんように…とも。
 それがちょうど、トノムラが寝室に入って、ノイマンと睦み合っていた時だという事も。



 アーサーの祈り虚しく。
 帰宅したトノムラが、ノイマンに自分が居ない間の様子を事細かに聞かれ、二人のベッドを客に貸した事まで勢いで喋ってしまい…堪りかねた旦那にこってりとお仕置きされたのは言うまでもない。
















 前もって宣言してある通り、裏アーニィページじゃないので、ノイトノエロシーンは書きませんよ?(笑)嫉妬の鬼旦那に妻が何をされたのかはご想像にお任せ☆

2005/2/6 雪里