飯食う人々

1.キラとアスラン







 朝から夕方までのドーナツ屋でのパート勤務を終え、アスランは夕暮れの商店街を歩いていた。今日は深夜のバイトがない。だからこれから夕飯の買い物をして帰宅したら、久しぶりにゆっくり過ごせる。同居人とゲームでもして夜更かしするのも悪くない。いや、最近音楽の方がおざなりだったから、新曲について協議しようか。
 滅多にない時間的ゆとりをシミュレートしたアスランは、自然ほころぶ口元を抑えつつ、店先までごった返すスーパーへと向かう。

 夕方のスーパーは、殺人的に混む。夕飯の買い物客が集中する為であり、またそれを見込んだタイムセールがあるからだ。もちろんアスランもそのセールが目当てだ。
 日々節制を心がけ、切り詰められるところは限界まで切り詰める。財布の紐はいつ何時も緩めない―――それが彼のモットー。
 早い話が、貧乏なのだ。
 お勤めご苦労様タイムセールといっても、アスランの目的は出来合いの惣菜などではない。パック詰めの惣菜を買う余裕はない。安売りの食材を買って、自炊が当たり前である。おかげさまでここ数ヶ月で一気に料理が上手くなったと思う。ちなみにかかさず見るテレビ番組は、一ヶ月を一万円で暮らす芸能人とやらが出ている。ヤラセな部分はあるだろうが、ともかく食材をとことん利用するレシピには、純粋に尊敬しているアスランである。その番組で知って以来、野菜の皮を捨てなくなった。

 他の客に揉まれつつ、アスランは進む。
 (野菜がほとんどなかったから…今日は何が安いかな。緑黄色野菜は大事だけど、ほうれん草とかはあんまり安くならないからなぁ)
 などと、見た目いまどきの若者らしいアスランが普通に考えているなど、今この時彼を挟んでいる主婦たちの誰が気付くだろうか。
 そして、アスランの目が光る。
 (なっ…もやしが一袋10円だって!?)
 安い。安すぎる。これは一体どうしてこんなに安く提供されているのか。日頃苦労している自分へのご褒美なのか。
 (なら…買うしかないじゃないか!)
 次の瞬間、アスランが持つ籠の中に、もやしが三袋放り込まれた。もう既にこの時点でアスランはかなり満足している。
 (もやしは塩胡椒で炒めるだけでも美味しい…ご飯がすすむ!)
 どうやら彼の脳内で今夜のメニュが決まったようだ。
 アスランは人波を掻き分け、豆腐を目指す。

 何と素晴らしいことか、豆腐も安売りしていた。絹ごし一パック38円。味噌汁の具材をゲットだ。欲を言えば長ネギを散らしたいところだが、生憎今日は長ネギは余り安くなかったので諦める。その代わり、豆腐の横で同じくセール対象になっていた、油揚げ一袋38円を買うことにする。どうやら賞味期限ギリギリで割り引きらしい。黄色いシールの貼られた油揚げを眺め、しかし今日中に食べるのだから問題なかろうとアスランは一人頷く。
 米はまだ残っているから、これで大体揃った。ご飯と味噌汁と炒め物。栄養価的に難があるのは承知しているが、しかし財布の中身と天秤にかければ、圧倒的に財布が重い。
 (どうしようか…安売りの野菜は今日買いだめしておくか…しかし給料日まで一週間あるし…うーん…)
 ちなみに精肉と鮮魚の棚は立ち止まらない。見ると欲しくなるのが分かっているので、敢えて見ないようにしているのだ。
 (でももやしを3つも買ったからな、少なくとも明日は大丈夫だろう)
 ―――どうやらアスランの心は決まったらしい。
 手に持って考えていた一本98円の大根を戻し、颯爽とレジに向かった。



 築何年だったか忘れたが、相当古いことだけは確かだ。畳と壁は大分煤けているし、アルミサッシの窓は鍵が掛け難くなっている。しかしトイレ兼用のユニットバスがあることだけは、この家賃では奇跡である。とりあえずアスランに文句はない。同居人は常々不満を口にしているが。
 帰宅すると、玄関の鍵は開いていて、同居人が在宅している事を示していた。
 「ただいま、キラ」
 大した段差のない玄関でスニーカを脱ぎつつ声をかけると、奥の部屋(と言っても一間しかない)から少し遅れて返事があった。
 「お帰りーアスラン。お腹減ったよー」
 「あぁ、買い物してきたから、少し待ってくれ」
 「早くしてね」
 玄関はすぐ脇にシンクがあり、台所なのか廊下なのか定かでない間取りである。奥に襖があり、開くと8畳の部屋がある。
 ビニル袋を床に置き、襖を開けると、同居人―――キラが、寝そべってテレビを見ていた。いや、ゲームをしているらしい。おそらくこの家の中で一番高価なもの…PS2本体。どうしても欲しいとキラが言い張って、だったら中古で買えというアスランに「中古で買ってすぐ壊れたらイヤだ」と切り返し、結局新品を大枚叩いて買ったのだ。当初は、女顔負けの可愛らしい笑顔で小首を傾げつつ「アスランも一緒にゲームしようね。二人で買ったんだもん」とキラは言っていたが…現状、アスランにゲームで遊ぶ時間などほとんどない。
 アスランが入ってきた時だけ、ちらりと振り返ったキラだったが、すぐにゲーム画面に視線を戻した。アスランには何のゲームなのか良く分からない。見る度に毛色が違う画面に思えるのだが、そんなにほいほいと新しいゲームソフトが買える経済状況ではないはずだ。誰かから借りているのだろうか。
 「キラ、何のゲームやってるんだ?」
 「んー?FF」
 「えふえふ?」
 「そう」
 「…そうか」
 "FF"なるものがどんなゲームなのか、その名称からではさっぱり分からない。しかしキラは詳しく説明する気はなさそうだし、アスランもそれ以上聞くのは止めた。どうせ自分はしないのだから。
 上着を脱ぎながら画面を見てみたが、派手に光ったり爆発する音がうるさい、としか思えなかった。
 「キラ、今日はずっと家にいたのか?」
 「んー?…えーっとね…」
 ゲームに集中しているせいか、キラの返答は鈍い。
 「今日はねぇ…お昼に一回外出たよ。お腹空いたから」
 「そう。明日は?」
 「明日?…アスランは?」
 「俺は明日は10時からミネルバドーナツで、夜そのまま弁当屋だ」
 「じゃあ夜帰ってこないの?」
 「あぁ。適当に食べててくれ」
 「…分かったー」
 夕食の仕度に取り掛かっていたアスランは、結局キラが明日の予定を答えていない事に気付かなかった。




 いただきまーす、と手を合わせ。
 湯気の立つお皿を眺め、キラはぱちくりと瞬いた。
 「…また、もやし?」
 「そうそう、今日はすっごい安かったんだ!聞いてくれ、何と一袋10円だったんだぞ!」
 「ふーん…いや、もやしの歯ごたえは好きだけどさ…もやしだけ、って…」
 ずず、と味噌汁を啜り、キラは不服そうにもやし炒めに箸を伸ばす。
 「せめて挽肉とかさぁ…僕、偶にはお肉とかお魚食べたいよ。こう、がっつりした」
 もしゃもしゃと頬張るキラに、アスランは困ったように眉を顰めた。
 「しかし、あんまり高いのは…」
 「何も、最高級米沢牛サーロイン300gとか、下関直産フグ刺しとは言わないよ?でもこう毎日毎日野菜ばっかりじゃ、栄養失調になるよ。僕だけじゃなくて、アスラン…君だって。ちゃんとした食事しないとさ、倒れちゃうよアスラン」
 「キラ…」
 喋りながらキラはしっかり箸を動かしているが、『キラが自分の体を心配してくれている』と受け取ったアスランは感動の余り、箸から米が零れ落ちたのにも気付かない。
 「キラ…お前、俺の心配まで…っ」
 震えている声に、キラはふと口に運びかけていた箸を下ろし、にっこりと微笑んだ。
 「当たり前じゃない、アスラン。だって僕達…同じ夢追いかけて、頑張ってるんじゃない」
 「き・・・キラー!」
 感激して溢れる涙を堪えきれず、アスランは後ろに転がっていたボックスティッシュを引き寄せて、思い切り鼻をかむ。
 (アスランがしっかり働いて稼いでくれないと、ご飯食べられないし)
 という本音(?)は、ちゃっかり心に仕舞うキラ。
 アスランが何枚もティッシュを消費しているので、キラは自分で味噌汁のお代わりをしに行く。ついでにご飯も二杯目を盛る。
 彼がテーブルに戻ると、ずび、と赤い鼻を抑えているアスランがようやく箸を持ち直していた。
 「よーし…明日からまた頑張るよ!確か木曜は精肉が安売りになる日だから…明後日は肉を買って帰る!」
 「うわーい、ホント?」
 「あぁ!―――ところでキラ、俺今日はバイトないから、そろそろ新しい曲作らないか?」
 「え?…あぁ、そうだねえ」

 そもそも彼らがこんな貧乏生活をしているのは、音楽の道を志している為なのである。
 二人同じ高校を卒業した後、就職も同じ所だったのだが…ようやく仕事に慣れて来たと思ったら、なんと倒産してしまったのだ(正確に言うと経営者が夜逃げした)。どうしたものかと思案していたアスランに、キラが、共にメジャーデビューを目指さないかと声をかけてきた。高校時代二人で組んでいたのだが、それを本格的に視野に入れようというのだった。
 どうせ、もう後はない―――アスランはキラの手をとり、地道に活動をし始めた。生憎アスランは歌に自信がなかったので、ボーカルをキラに任せ、自分はギターを担当することにした。バイトをして稼ぎつつ、時間のある時は路上ライブをするなどして、二人は暮らしていた。
 最近は立ち止まって聞いてくれる人もぼちぼち現れるようになり、コピーの曲ばかりでなく、オリジナルにも力を入れようと同意し合っていた矢先だった。
 生活費を稼ぐ為に働いているのはアスランばかりなのだが、主力はキラなのだから彼には音楽に専念して欲しい―――そんな風に考えるアスランなのだった。まあ、お人よしといえる。

 「キラも楽器を持つってのはどうだ?」
 「うーん、でも僕、次はバラードやりたいんだよね。メロディアスな」
 「ふむ…ハーモニカとか、合わないかな」
 「ハーモニカ?だめだめ、僕吹くタイプの楽器苦手だもん」
 「そうか…。そういえばお前、音楽の授業でリコーダの試験追試だったもんな」
 「うわ、そんなの覚えてるのアスラン!」
 「あはは、だってお前、あの時…」
 「う〜、もういいよその話はぁ」
 「分かった分かった、もう言わない」
 「そうだよ、それに…アスランだって一人ずつ皆の前で歌う試験でさあ」
 「あ、キラそれは忘れてくれって!!」
 「だから、お互いナシね」
 「あぁ・・・」

 新曲を考えるはずがいつの間にやら思い出話になっていたのだが、炊いた2合の米と余分に作ったはずの味噌汁、それに山盛りのもやし炒めがすっかりなくなる頃には、お互い当初の目的を忘れていたのである。











 「飯食う人々」はタイトルの通り、色んなキャラクタが「ご飯食べているシーン」のシリーズです。本筋の合間を縫うエピソードに相当します。(タイトルは某小説から拝借…)
 第一弾はキラとアスラン。まだこの頃はアスランも幸せなのね…(笑/思わせぶり)。はっきり言ってアスランは不幸を背負っているような役どころなので、かっこいいアスランファンにはお勧めできませんP.S.A.D。でもうっかりはそんなザラが大好きです。愛すべき薄幸少年・アスラン。
 ちなみにこのエピソードのあと、ミネルバドーナツ編・ハイネ参戦に続きます(笑)。乞うご期待!

2005/10/20 雪里