ミネルバドーナツの風景

2.恋の予感







 またある日。
 (あら)
 メイリンはやってきた客を見て、内心声を上げた。
 このところ良く見る客だった。
 察するに―――と言っても客層の何割かはそうなのだが―――近くの大学生らしい。大抵友人と二人連れだが、今日は一人。
 「いらっしゃいませ。―――いつもありがとうございます」
 言葉を足すと、相手は虚を突かれたように顔を上げた。
 「…覚えられた?」
 「よくいらっしゃいますよね。私結構、人様の顔覚えるの得意なんです」
 「へえ…」
 青年は照れながらも嬉しそうに笑い、いつも通り―――オールドファッションともう一つ・コーヒーを注文した。
 「―――オールドファッション、好きなんですね」
 「え?…あぁ、そうかな…何で?」
 「だって、いつも必ず注文されるから」
 差し出されたトレイを受け取りながら、青年は顔を赤くしている。
 「私も好きです」
 「はっ!?な、だ、誰を?」
 一層赤くなった青年は、突飛な声をあげた。
 「誰って…ドーナツの事ですよ?」
 「え、あ、そう、そうだね、うん―――美味しいよねオールドファッション!」
 可笑しなお客さんだなあ―――メイリンは吹き出しそうになるのを堪えて営業スマイルを持続させた。
 「ごゆっくりどうぞ〜」

 ちょうど客の切れ目で、ルナマリアがカウンタに入ってきた。
 「お疲れ様、お姉ちゃん」
 「うん。―――何かさっき随分楽しそうだったけど、知り合い?」
 「違うよ、常連さん」
 「常連?ふぅん…」
 ルナマリアの視線は、窓際の席にいる青年へ向く。レイがコーヒーのお代わりを注いでいるところだ。
 「アンタのファン?」
 「何でそうなるの?私はレジが多いから、必然的に対応する機会が多いだけで…」
 メイリンは至極真っ当な反論をしたのだが、姉はニヤニヤ笑いを止めない。
 「偶然だと思ってるのはアンタだけかもよ?」
 「…どういう意味、」
 「向こうは、アンタ目当てに通ってんのかもしれないじゃない」
 「そんなぁ…まさか、」
 「試しに、次はアンタがお代わりしてやってみれば?反応が違ったら、ビンゴ!…でしょ」
 「お姉ちゃん!んもう、ちゃんと仕事してよ!」
 「はいはい」
 ルナマリアを追い出したメイリンだったが、姉が残した言葉はなかなか脳裏から消えてくれない。―――まさか。別に常連なのはあの人だけじゃないし。
 そっと視線をやると、くだんの青年は―――窓の外をぼんやりと眺めていたが、不意にくるりと振り返り…目が合ってしまった。
 咄嗟に逸らしかけたが、相手は曲がりなりにも客である。かろうじてさり気ないスマイルを浮かべたメイリンだったが、青年は嬉しそうに微笑んでいる。

 ―――まさか、ね…?





 ドーナツ作り担当のバートが新しく運んできた、ドーナツを仕分けしながら…メイリンは結局考え続けていた。
 (―――そう言えば、大抵二人で来てるんだよね…)
 男二人でドーナツ屋とは、些か見慣れぬ光景ではあるが、すっかり常連なのでメイリンは違和感を覚えなくなっている。
 (あ〜何だっけ、名前、呼んでたよね…)
 できたてほやほやのドーナツが、次々に並べられていく―――が、その作業をしている本人の意識は欠片もドーナツに注がれていない。
 (えーとえーと…あー、あー…―――)
 「―――そうだ!あ」
 ―――思い出した事でつい立ち上がって声を上げてしまった。幸いカウンタ近くに人はおらず、彼女に気付いた者はいないよう。メイリンは一人恥ずかしく思いながら、再び作業を続けるべくしゃがみこんだ。
 (確かアーサーって呼んでたんだ。…名字は何ていうのかな)
 まさか客に対して聞くわけにもいかない。
 でも、気になる。





 蒸かしあがった中華まんを追加しにカウンタ内に出てきた飲茶担当のチェンは、湯気越しにしゃがみこむメイリンを見つけた。
 「―――?」
 しばらく見ていたが、どうも何かの作業中ではないらしい。
 「メイリン?何やってんの。腹でも痛いのか?」
 よもや具合が悪いのかと心配したチェンの呼び声に、メイリンは鈍い反応で振り返る。
 「はい?」
 「いや、だから…そんなトコでうずくまってるから、どうしたのかと思って」
 「―――あ、ごめんなさい!ちょっと考え事してしまって…すいません、仕事します」
 「…いや、具合悪くないならいいんだけど」
 チェンは不思議そうな顔をしたままだったが、すぐに奥へと戻って行った。

 奥の厨房では、バートがパイプ椅子を引っ張り出して遅い昼食をとっていた。
 「お疲れさん」
 「おう。…今さ、メイリンがカウンタの端っこでうずくまっててさ」
 「―――具合悪いの?」
 「って聞いたら違うって。考え事だとか言ってた」
 「ふぅん…まあ年頃だしねえ」
 「?」
 「俺達ならスルーするようなことでも、悩みになったりするんじゃない?って」
 とても真面目に考えているわけではなさそうな表情のバートに、チェンは首を傾げ―――すぐに、相槌を打った。
 「なるほど、アレか」
 「アレって何だよ」
 「恋の病ってヤツですな〜きっと。いいねー青春の初恋!」
 無駄に大げさな仕草に、バートは呆れ気味に付き合う。
 「いまどき高校生で初恋はないだろう」
 「え?そうなの?」
 「…お前、初恋高校ン時だったのか…」
 「誰が俺の話をしてるって言ったよ!」
 「や、まあ、いいけどさ昔の話は」
 「昔とか言うな!俺だって現役だぞ!」
 何故か己の恋愛遍歴を語り出したチェン―――を仕方なく眺めながら、バートはやけに年寄りくさい溜息をついたのだった。











 好きとか言う単語に過剰反応してしまう玉砕後のアーサー…惜しげもなくスマイルをくれるメイリンちゃんに傾き始めてます。営業スマイルが私的なものに変わる日はくるのか!?
 高校生から見れば、大学生の男の人ってちょっと憧れてる部分とか、あるんじゃないかな〜と。どうですか現役女子高生の方(笑) 

 2005/2/13 雪里