ミネルバドーナツ・大学前店。 連日適度な客足をつかまえている、全国展開している店舗の中でも好成績の一店である。 ミネルバドーナツの風景 1.開店前 「レイ〜聞いた?」 「何を。―――物を問うなら、もっとはっきり言え」 バイトの中で一番早く店にきていたルナマリアが、ロッカールームに向かう同僚をつかまたのだが―――相手は素っ気無い。しかし彼の場合はこれがデフォルトである。ルナマリアは肩を竦めるに留めた。 「今日新人くるって」 「新しいバイトか」 「そう。マリクさんが言ってたってバートさんが言ってた」 ルナマリアの物言いに、レイは無言で目を細めた。 「…着替えてくる」 「あ、ちょっと〜」 ただ情報を伝えただけになったルナマリアは、相変わらずの同僚の後姿に呆れた。 「もうちょっと反応して欲しいっての」 「どうしたのお姉ちゃん?」 ルナマリアの独り言は、女子更衣室から現れたもう一人によって救われた。 同じ制服だが、ルナマリアは赤、彼女―――ルナマリアの妹・メイリンは緑が基調。規定のバイザー(しかし一体何の為にこれを着用するのか、彼女らには分からない)は同じ。 「あぁメイリン。レイに、新人君がくるのよ、って伝えたのよ」 「バイト増えるんだ?」 「あら、アンタも知らなかった?」 「うん。…あ、そう言えばこの間マリクさんが面接だーとか何とか言ってたっけ。今日からくるの?」 「そうらしいわよ。どんな人かな」 「さあ…気が合うといいね」 メイリンはにこりと笑って、カウンタへ入っていった。そのカウンタを挟んで姉妹が雑談していると、制服に着替えたレイがホールに出てきた。女性陣は軽く手を上げるが、レイはちらりと見ただけで、さっさと掃除用具を準備し始めた。 「…ルナ」 「はいはい、分かってるわよ…さ、掃除しましょうか」 ルナマリアとレイは店内の掃除、メイリンはカウンタ内の準備―――それぞれが働き始めて、しばらく経った頃。 「みんな、おはよう」 「おはようございます」 真っ先に気付いたレイが挨拶をし、続いて姉妹も声を揃えて返す。 やって来たのは、この店の責任者マリク・バードヤーズだった。ちなみに彼ともう二人正社員がいるが、別にマリクが店長なわけではない。店長はちゃんといるのだが、バイトの面々は一度も会った事がない上にどんな人物なのかも知らない。彼らにとっては、マリクがこの店で一番偉い人間だった。気持ちの上では彼が店長なのだが、店長と呼ぶのも妙な按配で…この店では、それぞれを名前で呼ぶのが通例になっている。 マリクは少年を一人連れていた。一見極普通の―――高校生。強いてあげる特徴と言えば、赤い瞳であろうか。 「彼、新しくバイトに入ったアスカ君。仲良くやってください」 ぺこりと頭を下げた新人に、一同は銘々に反応を返し。 「そうだな…男はレイだけだし、先輩って事で色々教えてやってな。じゃあ、」 「あれ、マリクさんまた外ですか?」 「ああ―――夕方には戻ると思うから、いつも通り頼むよ」 「はーい」 腕時計を見ながらマリクは再び自動ドアを潜っていった。 「相変わらず忙しそうね」 「うん…あ、アスカ君。私のこと、分かる…よね?」 それまで何やら意味有り気に笑っていたメイリンが、シンに向かって言った。シンもまた、ようやく確信を覚えた―――という顔で頷く。 「え?何、知り合い?」 姉の問いに妹が肯定の笑み。 「同じクラスだよ。あんまり話した事なかったけど…まさか一緒のバイトになるなんて。よろしくねっ!」 「あら、後輩だったの。私はルナマリア・ホーク。この子の姉よ。ついでに、貴方の一コ上の三年。学校で会ったらよろしくね〜」 ルナマリアも自己紹介を済ませ、そのまま傍らのレイに視線をやる。 「―――レイ・ザ・バレルだ」 「あ、こいつね〜いっつもこんな感じで無表情無口だから、気にしないでいいわよ」 「はあ…えっと、シン・アスカです。よろしくお願いします!」 「ここじゃみんなファスネで呼び合うから、アスカ君の事はシン、でいい?」 「あっ、はい、ええ」 慌てて頷くシンに、メイリンはくすくすと笑いをもらした。 「私もこの間入ったばっかりだし、…あんまり緊張しないでね」 レイに促されてロッカールームへ入ったシンは、遠慮がちに先輩の姿を目で追う。 「俺はこっちを使っているから、隣を使えばいい」 「はい」 「制服は…」 「あ、何か、店に置いてあるって聞いて…」 シンの答えに、レイは無造作にロッカーを開けた。そこにはクリーニング済みの制服一式がちゃんと置いてある。 「あるな」 「はい」 「着替えたらホールの掃除を手伝ってくれ」 「はい」 「……シン」 「はい?」 緊張しっぱなしのシンに、さすがのレイも小さく笑った。 「敬語はやめてくれ」 「あ、はい―――あ!」 口を手で押さえたシンに、レイは肩を軽く叩いてホールに戻って行った。 着慣れない制服を気にしながらシンがホールへ出ると、レイがモップを、ルナマリアがテーブル拭きをしている最中だった。 「―――レイ…さん、俺何したら…」 「やだシン、さんなんて付けなくていいのよ!」 「…ルナマリア、呼ばれたのは俺だ。―――そうだな…窓を拭いてくれ」 まあ、そんな感じで。 数日経つ内にシンも慣れ、ミネルバドーナツは滞りなく営業を続けているのである。 「いらっしゃいませ〜」 暗黙のうちにレジ担当になっているメイリンは、笑顔を絶やさず新たな客を迎えた。 大学生風の男性が二人。 店内で食べると言う客に、手馴れた様子で注文をこなすメイリン。 「シン、コーヒー二つお願い」 「了解」 ドーナツを盛りながら後ろにいたシンに声をかけ、会計をしている間にアメリカンコーヒーを準備してもらう。 まだ少し緊張した手つきでカップを二つ、トレイに載せるシン。 「どうも、」 客の一人が礼を言いながらトレイを受け取り、奥の席へと歩いて行った。 「シン、もう慣れた?」 「うーん…ちょっと零した」 シンは申し訳なさそうに答え、コーヒーメーカの注ぎ口を拭いている。 「まあ、多少失敗してもとにかく笑顔保ってれば何とかなるよ!ね!」 「…そうだね」 メイリンの朗らかな笑顔に、シンもようやく笑みを返す。 「メイリンはすごいね」 「えー何が?どこが?」 「いっつも笑顔でさ…」 「だって、それが商売ってもんでしょ」 「あはは…勉強になります」 先輩に敬意を払い、シンは改めてカウンタに直る。 「次のお客さん来たら、シン対応してみて」 「えっ…」 「とにかく慣れなくっちゃ。私が横にいるから」 「…うん。やってみる」 ―――まるで試験前の受験生の様に緊張し、シンは次の客がくるまでレジ前で硬直していた。 ちなみに初めてのレジで、シンは見事に素早い動きを見せ―――たが、見事に数字を打ち間違えたのだった。 シンが奥ゆかしいのは最初だけです。もう慣れたので、ずうずうしくなってることでしょう(笑)。 2005/2/13 雪里 |